沿革
Our history
ヤギセイが歩んだ100年
私たちは1919年の創業から2019年で100年を迎えました。移り変わる長い歴史の中で、天災や社会情勢など困難を乗り越えながら、時代に即した新たな分野を開拓してまいりました。
そこには関連する皆様に支えられ、繊維会社として社会の発展に貢献しながら歩んできた「道のり」があります。
求められるものを、つくる
産元問屋として大阪泉州の小巾木綿=晒生地を全国にお届けする商いから始まり、手ぬぐい・おしめ・浴衣・泉州や愛媛今治のタオルを扱ってきました。
近年は日本製のみならず、イタリア・中国・ベトナム・インドなど世界の綿製品生産地でも商品をつくり、必要とされるお客様にお納めしています。
創業前
1895年 明治28年
創業者・八木清三、八木清助の三男として兵庫県龍野市(現・たつの市)に生まれる。尋常高等小学校を卒業後、大阪・船場の綿布商「安田商店」の丁稚となり、二十五歳まで奉公。
創業者・八木清三の父、八木清助 像
1915年 大正4年
二代目・岡本直一(通称名・順弘)、八木清三の甥として兵庫県姫路市四郷町本郷に生まれる。
創業の時代
1919年 大正8年
産元問屋として大阪泉州の小巾木綿(晒生地)を商う。
1927年 昭和2年
昼は大阪市立育英商業学校に通いながら、夜は店の仕事をした。
岡本直一(昭和12年頃)
1944年 昭和19年
1946年 昭和21年
1947年 昭和22年
二代目が再び船場に戻り、終戦後の配給制度による大阪タオル卸組合に参加、仕事を再開。
泉州の特産品であるタオルを扱い始める。
成長の時代
1951年 昭和26年
綿製品配給統制撤廃(4月)、公定価格廃止(7月)に伴い、二代目は大阪タオル卸組合を離れ、船場の金鳳会館で事業再開。個人商店として「八木清商店」を復興する。
当時は二坪のスペースを借りて仕事を始めたと聞く。
その後、兵庫県姫路市に疎開してそのまま居を移していた初代を大阪へ呼び寄せた。また、時期未定ながら「合名会社 八木清商店」となる。
合名会社時代の社名が入ったタオル。㋝は屋号(昭和20年代後半)
合名会社八木清商店の半纏。㋝は屋号(昭和30年代前半)
唐物町にお店があった頃の丁稚さんたち(昭和30年代)
八木清三(昭和30年頃)
1959年 昭和34年
晒生地、タオルだけではなく、ガーゼ寝巻や一般家庭向けの寝巻浴衣なども扱いだす。
右 新築移転記念品の算盤(昭和40年頃)
左 六疋続きの晒生地から一反ずつの巻物(反巻)を作っていく時に使っていた板
天橋立へ社員旅行。左から三番目が直一(昭和40年代)
1964年 昭和39年
1966年 昭和41年
この頃、旅館や都市ホテルなどの宿泊者向け浴衣の販売を開始する。
1975年 昭和50年
1979年 昭和54年
6月 創業者であり初代社長・八木清三が会長に、二代目・岡本直一が社長に就任。
1980年 昭和55年
1982年 昭和57年
1986年 昭和61年
1989年 平成元年
岡本直一直筆による社訓
現在
2018年 平成30年
イタリア・FRETTE社前にて(2019年)
2019年 令和元年
初代が一人で創業、三代目の入社当時は社員十名、現在は三十名弱となる。
創業100年記念パーティ
2023年 令和5年